瞑想をやってみたのに、頭の中がずっとおしゃべりしていて、全然落ち着かなかった。
そんな経験、ありませんか?
「静かにしなきゃ」と思うほど、余計にいろんな考えが出てくる。
これ、あなたの才能がないわけではないんです。
「静かにして!」と叫ぶ人が、いちばんうるさい
たとえば、映画館で「シーッ!」と大きな声を出す人がいたら、どうでしょう。
その声のほうが、よっぽどうるさいですよね。
瞑想中の頭の中でも、これと同じことが起きているんです。
「今日の夕飯どうしよう」と考える声。
そして、「あ、また考えてた。静かにしなきゃ」と注意する声。
どちらも、頭の中の声なんです。
注意している声のほうだけが、特別えらいわけではありません。

「ちゃんとやれている自分」も、実は考えのひとつ
「私はいま、自分の考えを冷静に見ているぞ」
そう思えると、うまくいっている気がしますよね。
でも、その「冷静に見ている自分」も、頭の中に浮かんだ考えのひとつなんです。
だから、見張れば見張るほど、頭の中の人数が増えてしまいます。
頑張るほど疲れるのは、このためなんです。
向きを変えて、「見ている人は誰?」と探してみる
では、どうすればいいのでしょうか。
やることは、とても簡単です。
浮かんでくる考えを追いかけるのをやめて、ひとつだけ、こう聞いてみます。
「いま、これを見ている私って、誰だろう?」
そして、その「私」を探してみてください。
顔はありますか? 色はありますか? どこにいますか?
探してみると、何も見つからないんです。
これは、失敗ではありません。
「見張り役なんて、最初からいなかったかも」と気づくと、力がふっと抜けるんです。
静けさは、作るものではなく、残るもの
多くの人は、静けさを「頑張って手に入れるもの」だと思っています。
でも、本当は逆なんです。
ずっとガタガタ音を立てていた人が、部屋から出ていったところを想像してみてください。
そのあとの静かな空気は、誰かが新しく作ったものではありません。
もともと、そこにあったものなんです。
静かにしようと頑張る自分がゆるんだとき、静けさは自然と残ります。
まとめ
・瞑想で頭がうるさくなるのは、ふつうのこと
・「静かにしなきゃ」と注意する声も、頭の中の声のひとつ
・考えを見張るより、「見ている私は誰?」と向きを変えてみる
・探しても何も見つからなくて大丈夫。力が抜けるのが大切
・静けさは作るものではなく、頑張りをやめたときに残るもの
うまくできない日があっても、自分を責めないでくださいね。
「静かにしなきゃ」と思っていた、その気持ちに気づけただけで、もう十分なんです。
今日は1分だけ、目を閉じて、こう聞いてみてください。
「これを見ている私は、誰だろう?」
答えが出なくても、大丈夫です。
そのわからなさの中に、静けさのヒントが隠れているんです。
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